畳の骨格を残したまま床から立ち上がる動作だけを消す——「和室に低床ベッドを入れる」改装が、全国の中規模老舗温泉旅館で静かに広がっている。本稿は宿の優劣を比べる記事ではなく、なぜその改装が2020年代後半のいま集中して起きているのかを扱う編集部の論考である。実例として、公式サイトの客室ページで畳とベッドの併存が確認できる3軒を、東日本・中日本・西日本から1軒ずつ挙げた。膝や腰に不安のある親を連れて旅程を組む40〜50代と、和室を諦めて洋室ツインに流れかけていた60代以上に向けて書いている。

エリア 宿 所在 客室 目安価格 客室タイプ名と改装
東日本 白玉の湯 華鳳 新潟・月岡温泉 110 ¥53–¥59k 「和ベッドルーム」。畳に和室用ベッド、最上階は2023年12月改装
中日本 下部ホテル 山梨・下部温泉 92 ¥35–¥41k 「モダン和風ツイン」。畳敷きにベッド、広縁にテーブル席
西日本 皆生松月 鳥取・皆生温泉 19 ¥17–¥20k 「ベッド付モダン和室」。12帖に据付ベッド、2024年4月改装

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)。松葉ガニなど食材を主役に据えたプランが動く時期は、これを大きく上回ることがあります。

布団の上げ下ろしは、いつから「越えられない段差」になったか

和室の寝具が布団であることに、長らく誰も疑問を持たなかった。朝、係の者が布団を上げ、夕食のあいだに敷く。客は畳に座り、畳で寝る。その一連が旅館という様式そのものだった。

変わったのは客の身体である。畳に直接座って立ち上がる動作は、膝関節に体重の数倍の負荷をかける。変形性膝関節症を抱える層が旅の主要な購買層と重なり始めたとき、「和室が好きだが和室では眠れない」という矛盾が市場に現れた。宿側から見れば、これは深刻な離脱である。和室を望んでいた客が、身体を理由に洋室ツインへ、あるいはビジネスホテルへ流れていく。

最初に取られた対処は、和室を洋室に建て替えることだった。だがこれは高くつく。畳を剥がし、床を上げ、壁を張り替え、押入れをクローゼットに変える。工期も費用も、客室単価の回収年数を大きく超えてしまう。加えて、和室を求めて来た客の動機そのものを消してしまうという矛盾がある。障子越しの光も、広縁の窓辺も、洋室化の過程で失われるからだ。

「和室を洋室にする」のではない、という設計判断

そこで採られたのが、畳を残したまま寝具だけを置き換えるという解である。押入れをそのまま残し、畳の上に和室用の低床ベッドを据える。床の仕上げも、天井も、欄間も、広縁も触らない。動くのは寝具と、それに伴う小規模な家具配置だけ。工期は短く、意匠の連続性は保たれる。

この設計が巧妙なのは、消しているのが「床からの立ち上がり」という一点に限られていることだ。畳に座りたい客は座れる。畳スペースに布団を追加すれば、三世代の同室も従来どおり成立する。つまり、和室を諦めるかベッドを諦めるかという二者択一自体を無効化している。予約画面での訴求も明快で、「和室」でありながら「ベッド」でもあると言い切れる。

ベッドの高さが低く抑えられている点も見落とせない。一般的なホテルベッドより低い座面は、腰を下ろすときに膝を深く曲げずに済む高さであり、同時に畳の水平線を切り裂かない高さでもある。機能と意匠が同じ寸法で両立している——これが「和ベッド」という呼称が定着しつつある理由だと、編集部は見ている。

実例を3軒挙げる。いずれも公式サイトの客室ページで、畳が残っていることとベッドが据え付けられていることの両方が確認できる宿である。

東日本|月岡温泉 白玉の湯 華鳳 — 新潟・新発田市

全11客室タイプのうち4タイプが「和ベッド」を冠する、この改装を最も体系的に進めた一軒。

110室、温泉旅館。

目安価格 ¥53,000–¥59,000 / 泊 (2名1室・通常期)


月岡温泉 白玉の湯 華鳳 — 新潟・新発田 · 畳の上に和室用ベッドを据えた「和ベッドルーム」と田園を望む広縁
PHOTO: 月岡温泉 白玉の湯 華鳳 — 公式サイトを見る →

なぜこの一軒を挙げるか

華鳳が示しているのは、和ベッドを一部屋の実験ではなく客室構成の主軸に据えた例である。公式の客室一覧には「和ベッドルーム」「露天風呂付和ベッドルーム」「露天風呂付和ベッドコーナールーム」「露天風呂・サウナ水風呂付和ベッドルーム」が並び、全11タイプの4つを占める。デラックス和ベッドルームは73㎡、16帖に加えてダイナミック広縁と着替の間を備え、寝具はセミダブルのツイン。畳の面積を削らずにベッドを収めるための、規模を活かした設計と言える。

集約レビューの傾向

公開レビューデータを集計すると、月岡温泉の中でも突出して評価が安定した一軒であることが確認できる。眺望と湯の質への言及が多く、田園を見晴らす広縁への評価が高い。一方で価格帯は同エリアの中規模旅館より上に位置し、そこを納得材料と見るか負担と見るかで受け止めが分かれる傾向が見て取れる。設備面では、客室内のマッサージチェアやワーケーションスペースといった細部への評価も一定量ある。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    親を連れた三世代旅(畳スペースに布団を追加して同室にできる)、記念日の大人ふたり旅、和の様式を残した客室で膝への負担を避けたい人
  • 向かない:
    1泊の予算を2名3万円台に抑えたい旅程、駅から徒歩で到着したい人(月岡温泉はバス移動が前提)、館内の賑わいより静寂を最優先する滞在

具体情報

  • アクセス: JR新潟駅から月岡温泉行き直通バス約60分/JR新発田駅から直通バス約25分
  • 客室規模: 110室。デラックス和ベッドルームは73㎡(16帖+広縁+着替の間)
  • 寝具: 和室用のシモンズ製ベッド。畳スペースに布団を追加して3名以上の利用も可能
  • 食事: 夕食の会場は個室を用意。朝食は石窯で焼くパンや海鮮丼を含む構成
  • 改装: 最上階の露天風呂付和ベッドルームを2023年12月、露天風呂・サウナ水風呂付和ベッドルームを2025年8月1日に改装。2025年12月25日には貴賓室2室を露天風呂・サウナ水風呂付の離れへ改装し、車椅子に対応するバリアフリー仕様とした
  • 喫煙: 2020年4月より全客室禁煙


中日本|下部温泉 下部ホテル — 山梨・身延町

武田信玄の隠し湯に建つ、駅から徒歩1分。畳にベッドを置いた客室を4タイプ揃える療養の宿。

92室、温泉旅館。

目安価格 ¥35,000–¥41,000 / 泊 (2名1室・通常期)


下部温泉 下部ホテル — 山梨・身延町 · 畳敷きにベッドを備えたモダン和風ツインと広縁のテーブル席
PHOTO: 下部温泉 下部ホテル — 公式サイトを見る →

なぜこの一軒を挙げるか

下部ホテルの客室ページは「畳敷きにベッドを備えた機能的なツインルーム」という一文を、複数のタイプに繰り返し掲げている。5階のモダン和風ツインは12畳、次の間付のモダン和風デラックスツインは10畳+6畳、最上階8階の「蒼鷺」フロアに新装されたプレミアム和風ツインは10畳。さらに基本タイプにも、10畳の和室にローベッドを2台入れた「和室10畳(ローベッド)」がある。5階のモダン客室は広縁にダイニングテーブルを置き、畳の上での食事や作業を椅子座で成立させている。低床ベッドと椅子座テーブルの組み合わせで、客室内から座り込む動作をほぼ排した設計と言える。

集約レビューの傾向

公開レビューデータを集計すると、湯の量と種類への評価が突出して高い。庭園内に自噴する硫黄泉と2本の引き湯を合わせた3種の源泉を、七つの露天風呂を含む12の湯舟で巡れる構成が支持されている。加えて下部温泉駅から徒歩1分という立地が、荷物を持って歩く距離を最小にする点で高齢の同行者を伴う旅程に効いている。一方で館内は団体客の受け入れ規模も持つため、静けさを最優先する層とは相性が分かれる傾向がある。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    公共交通で親を連れて移動する旅程(駅から徒歩1分)、湯を数多く巡りたい人、夕食を椅子席で済ませたい人、車で訪れる家族(無料駐車場あり)
  • 向かない:
    客室食にこだわる滞在(夕食は食事処または個室宴会場)、小規模で静かな宿を望む人、洋食中心の食を望む人

具体情報

  • 最寄り駅: JR身延線 下部温泉駅から徒歩約1分。新宿から特急あずさ・ふじかわ乗継で約140分、名古屋から静岡経由で約160分
  • 客室規模: 92室。モダン和風ツイン12畳(5階)/モダン和風デラックスツイン10畳+6畳(5階)/プレミアム和風ツイン10畳(最上階8階・「蒼鷺」フロア)/和室10畳(ローベッド)(5〜7階)
  • 食事: 夕食は3形態から選択。お食事処「里のいろり」の創作会席、お食事処「山のかまど」のライブキッチン式ビュッフェ、個室宴会場の山梨名物会席。いずれも2階、18:00〜21:00
  • 温泉: 庭園内に自噴する「下部ホテルオリジナル泉」(単純硫黄泉)と、引き湯の「下部温泉共同泉」「しもべ奥の湯高温源泉」の3種。七つの露天風呂を含む12の湯舟
  • 駐車場: 無料駐車場を完備
  • 歴史: 下部温泉は武田信玄の隠し湯として知られる。フロントには昭和初期に滞在した新渡戸稲造の書が残り、1961年には石原裕次郎が右足首骨折の温泉療法で長期滞在した(館内に裕次郎ギャラリー)


西日本|皆生温泉 皆生松月 — 鳥取・米子市

昭和2年創業、客室を19室から増やさない宿が、2024年に12帖の和室へベッドを据え付けた。

19室、温泉旅館。

目安価格 ¥17,000–¥20,000 / 泊 (2名1室・通常期)


皆生温泉 皆生松月 — 鳥取・米子 · 2024年4月改装の12帖「ベッド付モダン和室」
PHOTO: 皆生温泉 皆生松月 — 公式サイトを見る →

なぜこの一軒を挙げるか

3軒のなかで最も小さく、最も明快に改装年を掲げているのがこの宿である。公式の客室ページは「2024年4月 リニューアル」の表示とともに、12帖のモダン和室にセミダブルベッドを据え付けたタイプを複数示す。ツインベッド、トリプルベッド、ハリウッドツインの3構成があり、いずれも12帖・51.0㎡〜の畳を残したまま、セミダブルベッドの台数と並べ方だけを変えている。客室を増やさない方針を昭和2年の創業以来続けてきた宿が、限られた19室のうち複数を和ベッドに振り向けた——その配分そのものが、この改装への評価の高さを物語る。

集約レビューの傾向

公開レビューデータを集計すると、日本海に正対する眺望と食事への評価が高く、規模の小ささを裏返した接遇のきめ細かさが繰り返し支持されている。地上27mの眺望大浴場と貸切露天風呂も評価対象に入る。価格の受け止めは季節で大きく分かれ、松葉ガニを主役に据える冬季とそれ以外では、同じ客室でも体感される価格帯がまったく異なる傾向が見て取れる。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    小規模な宿で静かに過ごしたい大人ふたり、車で訪れる家族(目の前に無料駐車場50台)、冬の松葉ガニを目的に据えた旅、3名で同室にしたい親子連れ
  • 向かない:
    鉄道だけで到着したい旅程(米子駅からバスまたはタクシー15分)、大浴場の種類の多さを求める人、館内施設で長く過ごしたい滞在

具体情報

  • アクセス: JR米子駅からバスまたはタクシーで約15分。皆生温泉観光センターのバス停から徒歩約4分(約200m)。米子空港からタクシー約25分
  • 客室: 総客室数19室(全室禁煙)。ベッド付モダン和室は12帖・51.0㎡〜、ツイン/トリプル/ハリウッドツインの3構成
  • チェックイン: 15:00〜(最終22:00)/アウト 〜10:00
  • 食事: オーシャンビュー・ダイニング、または客室での食事
  • 創業: 昭和2年(1927年)12月、木造二階建ての純和風料理旅館として創業。「眺望第一内湯旅館」と銘打った。平成11年に全館を建て替えた際も創業時からの規模(19室)を守っている
  • 駐車場: 館の目の前に50台、無料・予約不要


3軒が共有しているもの、していないもの

19室から110室まで、規模も価格帯も大きく違う3軒である。それでも客室ページの記述は驚くほど似ている。畳を残すこと、ベッドを据え付けること、そしてその両方を客室タイプの名前に書き込むこと。「ベッド付モダン和室」「モダン和風ツイン」「和ベッドルーム」——呼称は違うが、伝えようとしている情報は同じだ。和室であること、そして床に寝ないこと。

一方で、共有していないものもある。食事の形態である。華鳳は個室、下部ホテルは食事処と個室宴会場から選択、皆生松月はダイニングと客室食。ここは宿の性格がそのまま出る部分で、選ぶ側にとっては客室以上に見落としやすい。客室で立ち上がる動作を消しても、夕食が座敷の座卓であれば、一晩の起居動作の総量はさほど減らない。膝を理由にこの種の客室を探しているなら、確認すべきは客室ページと食事ページの両方である。

予約の前に、何を確かめるか

  • 畳が残っているか。「和モダン」を名乗りながら床がフローリング化している客室は少なくない。写真で床面を確認する
  • ベッドの高さ。低床であることが明記されているか、写真で畳面との高低差を見る
  • 食事処が椅子席か。座敷の座卓であれば、客室の段差解消の効果は半減する
  • 浴場までの動線。本稿は客室内の起居動作に絞ったが、大浴場までにエレベーターがあるか、脱衣所に椅子があるかは別途確認したい
  • 布団の追加可否。三世代で同室にするなら、畳スペースに何組まで敷けるかを予約時に確かめる

よくある質問

Q. 「和モダン」と「和ベッド」は同じものですか?

A. 異なります。「和モダン」は意匠の傾向を指す語で、床をフローリング化して和風の家具を置いた客室も含みます。本稿が扱う「和ベッド」「ベッド付き和室」は、畳敷きが残った上にベッドを据える構成を指します。予約前に客室写真で床面が畳かどうかを確認するのが確実です。

Q. ベッドの高さはどのくらいですか?

A. 各館とも数値での公表はしていませんが、いずれも一般的なホテルベッドより低い座面に抑えられています。畳の水平線を切らない高さに合わせているためで、腰を下ろすときに膝を深く曲げずに済む点が、この構成の要です。高さが判断材料になる場合は、客室写真で畳面との高低差を見比べるか、宿に直接確認するのが確実です。

Q. 三世代で同室にできますか?

A. 3軒とも可能です。華鳳の和ベッドルームは畳スペースに布団を追加して3名以上、皆生松月のハリウッドツインモダン和室は12帖で定員4名(4名時は2名が布団)、下部ホテルのモダン和風デラックスツインは10畳+6畳の次の間付で2〜4名。畳が残っていることが、そのまま定員の柔軟さになっています。

Q. ベストシーズンはいつですか?

A. 編集部が推すのは冬から早春です。正月と春休みは親を伴う旅程が組みやすく、皆生温泉は松葉ガニ、下部温泉は湯量、月岡温泉は雪景色と、それぞれ季節の主役が明確になります。ただし年末年始と松葉ガニ期は価格が通常期を大きく上回るため、予算を優先するなら1月中旬から2月、あるいは11月が現実的です。

Q. アクセスはどうなっていますか?

A. 3軒で性格が分かれます。下部ホテルは下部温泉駅から徒歩約1分で、鉄道だけで到着できます。華鳳は新潟駅または新発田駅から直通バス、皆生松月は米子駅からバスまたはタクシーで約15分。歩行に不安のある同行者がいる場合、下部ホテルが最も負担の小さい移動になります。

Q. なぜ2027年に向けてこの改装が増えているのですか?

A. 需要側と供給側の理由が重なっています。需要側では、和室を望みながら床からの立ち上がりが難しい層が旅の主要な購買層と重なりました。供給側では、和室を洋室へ全面改装するより工期も費用も小さく、なおかつ和室として売り続けられる点が経営判断を後押ししています。畳・障子・広縁という資産を捨てずに済む改装であることが、この設計が選ばれる最大の理由です。

本記事の参考情報

・月岡温泉観光協会 — 月岡温泉のエリア情報と交通
・皆生温泉旅館組合 — 皆生温泉のエリア情報
・Wikipedia: 下部温泉 — 泉質と歴史の背景

編集部から

畳の上にベッドを置くという解は、派手な発明ではない。むしろ、何も足さず何も引かないことに近い。押入れも障子も広縁もそのままに、寝具だけを持ち上げる。それだけで、和室を諦めかけていた人がもう一度和室に泊まれるようになる。本稿で挙げた3軒は、規模も価格も土地の性格も違うが、その一点で同じ判断に辿り着いた。取材を進めるほど、これは意匠のトレンドではなく、宿が誰と歳を重ねていくかという問いへの答えに見えてくる。次はこの視点を、食事処の椅子席化という別の局面で追ってみたい。あなたが最後に和室に泊まったのは、いつだっただろうか。

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