国の登録有形文化財に泊まれる宿として、編集部が一軒だけを掘り下げる。岐阜県下呂市、下呂温泉の街を見下ろす山の中腹に建つ「湯之島館」である。1931(昭和6)年の開業以来、木造三階建ての本館がほぼそのままの姿で客を迎え続けてきた。梅雨から初夏にかけての飛騨は、杉と檜の森が雨を含んで深く沈み、木の柱や欄間の陰影がもっとも濃くなる季節。晴天よりも、むしろこの時期にこそ建築の意匠が際立つ——そう考える理由を、以下に記す。
| 宿 | 下呂温泉 湯之島館(岐阜県下呂市湯之島645) |
|---|---|
| HotelPicks Score | 94 / 100 |
| 開業 | 1931(昭和6)年11月 |
| 文化財登録 | 本館・渡り廊下・玄関/2010年1月15日 国登録有形文化財 |
| 客室数 | 67室(本館・別館・洋館・景山荘の複数棟構成) |
| 目安価格 | ¥51,000〜¥55,000 /泊(2名1室・通常期) |
| 編集部が推す時期 | 6月前後の新緑・梅雨(建築の陰影)/11月の紅葉 |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。別途、入湯税が1名1泊150円かかります。

歴史と建築 — 名古屋の実業家が飛騨の山中に描いた「日本に誇れる温泉施設」
着想は1927(昭和2)年にさかのぼる。名古屋の実業家・岩田武七が、飛騨の霊泉に「日本に誇れる温泉施設」を構想し、飛騨川温泉土地株式会社を設立して湯之島地区の温泉採掘権を得た。1928(昭和3)年に現在の下呂温泉の源泉を掘り当て、翌1929(昭和4)年10月に着工。延べ6万人を投じた工事は2年を要し、1931(昭和6)年11月に開業している。当時の言葉で「投資総額百万円」。百万長者という語が使われた時代の、桁外れの事業だった。
設計と監督を担ったのは、当時新鋭の建築家・丹羽英二。木造和風建築と近代洋風建築の融合を主題に据えたと伝えられる。この方針は敷地の使い方にも表れていて、5万坪の斜面地に対し、樹を切らずに木々を縫うように建物を配した。軒を切り欠いて幹を通した箇所すら残る。建築が地形と樹木に譲るという設計思想は、現在の環境配慮という言葉が生まれるはるか以前のものである。

文化財としての評価は、本館の平面計画に集中している。木造3階建、入母屋造桟瓦葺、建築面積462㎡。中廊下を挟んで西と南に客室、北と東に水回りや食堂を配し、南側は眺望を考慮して客室を雁行に振り、窓を連続させて開放的に扱う——これが登録の理由として記録されている構成である。斜面に対して建物を斜めに折り、どの部屋からも谷が見えるようにする。この一点だけでも、当時の設計者が何を最優先したかが分かる。2010(平成22)年1月15日、本館・渡り廊下・玄関の3件が国の登録有形文化財となった。
もう一つの見どころが、開業と同時に建てられた洋館、いわゆる娯楽棟である。当時としては珍しい半木造半鉄筋コンクリート造で、アール・デコの影響を色濃く残す。鹿鳴館調のダンスホール、ビリヤード場、日光浴室、バー、屋外にはテニスコートまで備えていた。運営も当時の温泉旅館の常識とは異なり、支配人制度を採るリゾートホテル型。戦前の日本が思い描いた「近代的な保養地」の完成形が、そのまま山の中に残されていると言っていい。
滞在の体験 — 文化財の客室と、四棟の温度差
湯之島館は一棟の宿ではない。本館、別館、洋館(娯楽棟)、そして1987(昭和62)年に加わった景山荘。合計67室が、性格の異なる棟に分かれて散らばっている。どの棟を選ぶかで滞在の質が大きく変わる宿であり、ここを間違えると評価が割れる。

本館は、文化財そのものに泊まる棟。数寄屋造りの客室が並び、一室ごとに意匠が違う。飛騨の匠の土地らしく、名工が細部でひと捻りを効かせている。広縁の連続窓を開け放つと、目の前が斜面の杉檜。ここで過ごす時間の質は、設備のスペック表からは一切読み取れない種類のものだ。ただし公式サイト自身が明記しているとおり、防音も当時のまま。隣室の気配が届くことは、あらかじめ承知して選ぶべき条件である。
本館の最上級特別室が「七重八重之間」。本間31帖に控えの間を備えた貴賓室で、1958(昭和33)年秋には皇室の滞在にも用いられた部屋である。別館には源泉かけ流しの内湯と露天風呂を備えた客室が6室あり、総春慶塗の意匠で統一された特別室「春慶荘」は司馬遼太郎が賞したと伝わる。対して景山荘は敷地で最も高い位置にあり、11階まで源泉を引き上げた全室展望風呂付き。窓を全面開放すれば半露天になる仕掛けで、こちらは近代的な快適さを求める旅程に向く。なお2026年8月には、景山荘の一室「水仙之間」が改装工事のため販売を停止する旨が公式に告知されている。
温泉 — 源泉を掘り当てた宿が、シャワーまで源泉で通す

下呂温泉は大正期に良質な湯口を失って一度は衰退した。その復興の局面で1928年に現在の源泉を掘り当てたのが、ほかならぬ湯之島館である。この出自が、湯の使い方にそのまま出ている。展望大浴場と展望露天風呂(一部循環かけ流し)はもちろん、客室の内湯、そしてシャワーの湯に至るまで下呂の源泉を通す。無色透明でやわらかく、湯上がりの肌がしっとりと変わる——「美人の湯」と呼ばれる所以を、シャワーの一滴まで浴びられる宿は多くない。
建築好きにとって外せないのが、洋館地下の家族風呂である。銀嶺泉、不老泉、七宝泉、玉ノ井泉の4室。創業と同時に造られ、階段を下りるとモザイクタイルの廊下がまっすぐ伸び、扉が連なる。浴室ごとにタイルと石材のあしらいが違い、左官職人の仕事を至近距離で読める空間だ。ただし現時点では感染症対策として利用を休止しており、入浴を目的に予約するのは避けたほうがいい。最新の稼働状況は公式サイトで確認できる。
食 — 飛騨牛と川魚、朝は8階の大広間で
夕食は季節の会席。焼物は夏が鮎、冬が尼子と川魚が軸になり、飛騨牛はプランに応じてしゃぶしゃぶやステーキで供される。飛騨の銘酒も揃う。朝食は8階の大広間「鶴之間」で、岐阜県産コシヒカリに朴葉味噌という飛騨の定型。夜遅くには洋館の食事処「篝火」が20:00〜22:30(ラストオーダー22:00)で開き、岐阜の郷土料理「鶏ちゃん」や麺類を出す。夕食後に館内を歩き、洋館まで下りて一杯という動線が、この宿では自然に成立する。
梅雨と新緑 — 建築を見るなら、雨の季節を選ぶ
晴天の下呂は明るく、山並みが遠くまで抜ける。それはそれで気持ちがいい。ただ、木造建築を見るという一点に絞るなら、編集部は6月前後を推したい。雨が杉と檜の幹を黒く濡らし、庭の苔が発色し、湿度で空気が重くなると、木部の色が深くなり、欄間や障子の桟が落とす影の輪郭がはっきりする。連続窓の向こうが白く煙る日の本館広縁は、建物そのものが一枚の絵になる。
加えて、この時期は下呂の混雑が落ち着く。紅葉の11月と積雪期の週末は、同じ宿でも空気が変わる。四季それぞれに見どころはあるが、「戦前の木造旅館建築を静かに見る」という目的においては、梅雨は不利な季節ではなく、むしろ最良の季節である。夏に向かえば館の周りは緑が最も濃くなり、鮎の季節が始まる。

集約レビューが映すこの宿の本質
公開レビューデータを集計すると、この宿の評価は珍しいほど明確な形をしている。建築と敷地の環境、そして湯そのものへの評価が突出して高く、しかも長期にわたって安定している。開業から一世紀近く、繁忙期の稼働を支えながらこの水準を保っている点は、単なる「古い名旅館」という説明では足りない。日々の清掃と補修が効いているということである。
一方で、意見が割れる領域もはっきりしている。設備の現代性、とりわけ本館の防音と段差、そして棟ごとの体験差である。文化財の客室を選んだ人と、景山荘の展望風呂付き客室を選んだ人とでは、同じ宿の話をしているとは思えないほど感想の質が変わる。逆に言えば、棟の選択を間違えなければ満足度は極めて高い。予約時に「何を目的に来るのか」を決めておくことが、この宿では他のどの宿よりも重要になる。
向く人 / 向かない人
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向く:
近代建築・戦前のリゾート建築に関心のある旅、静けさと森を優先する大人二人の滞在、和の様式と昭和初期のモダンを同時に見たい海外からの旅行者、温泉街の喧騒から距離を置きたい人 -
向かない:
最新設備と完全な遮音を求める旅(本館は建具も防音も当時のまま)、下呂の温泉街を徒歩で回遊したい旅程(街までは車で約5分、坂の上)、幼児連れで段差と階段を避けたい家族、館内で完結する現代的なリゾート体験を期待する人
具体情報
- 所在地: 岐阜県下呂市湯之島645(下呂富士と呼ばれる中根山の中腹、敷地約5万坪)
- 最寄り駅: JR高山本線・下呂駅。駅から無料シャトルバス(13:35/14:35/15:35/16:35/17:25発、宿発は8:30〜11:10)
- 広域アクセス: 名古屋から特急ひだで約1時間27分、富山から約2時間15分、大阪から約3時間24分
- チェックイン: 15:00〜
- 客室: 67室。本館(文化財)/別館(露天風呂付6室)/洋館(娯楽棟)/景山荘(全室展望風呂付)
- 最上級特別室: 本館「七重八重之間」本間31帖+控えの間
- 温泉: 展望大浴場・展望露天風呂(一部循環かけ流し)、客室内湯とシャワーまで下呂の源泉。洋館地下に家族風呂4室(現在利用休止)
- 食事: 夕食は季節の会席(飛騨牛・鮎・尼子)、朝食は8階大広間「鶴之間」/夜は食事処「篝火」20:00〜22:30(L.O. 22:00)
- 創業: 1931(昭和6)年11月。設計・監督 丹羽英二
- 文化財: 本館・渡り廊下・玄関が2010年1月15日に国登録有形文化財。本館は木造3階建、入母屋造桟瓦葺、建築面積462㎡
- その他: 政府登録国際観光旅館 第8号(1951年2月14日登録)。入湯税 1名1泊150円
HotelPicks Score
94 / 100 — 内訳の考え方は、立地(森と高台の環境、ただし温泉街からは離れる)/設備(文化財棟は現代基準では割り切りが必要、湯の質は最上位)/体験(他に代替のない建築体験)/価格感(¥51,000〜¥55,000は同等規模の名旅館として妥当)/編集適合度(「近代建築としての旅館」というテーマに対しては満点に近い)。公開レビューデータを集計した評価の高さと安定性に、文化財という代替不可能性を加えて算出している。
同じ系統で、もう二軒
岐阜県内で、登録有形文化財の建物に泊まれる旅館は数えるほどしかない。湯之島館のあとに続けて訪ねるなら、性格の異なるこの二軒を挙げたい。
旅館かみなか — 高山市花岡町
高山駅から歩ける距離にある10室の小旅館。本館と土蔵が2012年2月23日に国登録有形文化財となっている。本館は明治期の木造2階建(鉄板葺、建築面積398㎡)で、かつての花街の建築がそのまま宿として使われている点が際立つ。山の高台に構えた湯之島館とは逆に、こちらは町なかの町家建築の系譜。目安価格は1泊2名1室で¥26,000〜¥28,000あたりが中心帯で、高山の街歩きと組み合わせやすい。飛騨路をまとめて回るなら、下呂と高山でこの二軒を繋ぐ行程が組める。
大黒屋旅館 — 瑞浪市日吉町(中山道 細久手宿)
下呂・高山からは離れるが、岐阜県内の文化財旅館として外せない一軒。主屋は安政6(1859)年築の木造2階建(瓦葺、建築面積240㎡)で、2007年5月15日に登録有形文化財となった。旧中山道に南面し、両妻に卯建を上げた切妻造。明治維新以前は問屋であり尾州家の定本陣を務めた建物で、玄関門・式台・上段の間が往時のまま残る。温泉旅館である湯之島館、花街建築のかみなかに対して、こちらは街道の宿場建築。三軒を並べると、岐阜という土地に残る「泊まる建築」の三系統が見えてくる。
よくある質問
Q. 建築を見るのにベストな時期はいつですか?
A. 編集部が推すのは6月前後です。雨に濡れた杉檜と苔が発色し、湿度で木部の色が深くなるため、欄間や障子の桟が落とす陰影が最もはっきりします。混雑も落ち着く時期です。次点は11月の紅葉期ですが、こちらは館内も周辺も人が増えます。積雪期は雪見の良さがある反面、山の中腹という立地ゆえ道路状況の確認が必要になります。
Q. 予約はどのくらい前から動くべきですか?
A. 客室が棟ごとに性格の異なる67室構成で、文化財の本館や露天風呂付きの別館は室数が限られます。紅葉期の週末と年末年始は数か月前から埋まる前提で考えるのが現実的です。逆に梅雨期の平日は比較的取りやすく、狙った棟・狙った部屋を指定しやすい時期になります。改装等による一部客室の販売停止が告知される場合があるため、公式サイトの案内を確認してから動くのが確実です。
Q. 子連れでも泊まれますか?
A. 泊まることはできますし、子供向けの料理も用意されています。ただし本館は当時のままの木造三階建てで、階段や段差があり、防音も現代基準ではありません。幼児連れなら、より新しい景山荘の展望風呂付き客室を選ぶほうが負担が少なく済みます。建築鑑賞を主目的とする滞在と、子連れでゆっくり過ごす滞在とでは、選ぶ棟が変わると考えたほうがいいでしょう。
Q. アクセスは?
A. JR高山本線の下呂駅が最寄りで、名古屋から特急ひだで約1時間27分、富山から約2時間15分、大阪から約3時間24分。下呂駅からは宿の無料シャトルバスが13:35〜17:25の間に運行しています(チェックインは15:00〜)。宿は下呂の温泉街から車で約5分の山の中腹にあり、街への徒歩往復は現実的ではありません。街の外湯や食べ歩きを組み込むなら、到着日の早い時間に済ませる段取りが要ります。
Q. 海外からの旅行者にも向きますか?
A. 向きます。公式サイトは英語・中国語のページを備え、1951年には政府登録国際観光旅館の第8号として登録された歴史もあります。木造の数寄屋造りとアール・デコの洋館が同一敷地に共存する構成は、日本の近代がどう西洋を取り込んだかを一晩で体感できる稀な例で、建築や近代史に関心のある訪日客には特に響く一軒です。一方、館内の説明表示や設備の一部は日本語主体のため、細かな確認は事前の問い合わせが安心です。
Q. 日帰りでも建築を見られますか?
A. 日帰りプランが用意されており、湯と館内の一部に触れることはできます。ただし本館客室の広縁や、灯りの入った夜の座敷といった、この宿の核心にあたる場面は宿泊しないと見られません。建築が目的なら、宿泊を前提に組み立てるほうが得るものは大きいと考えます。
本記事の参考情報
・文化遺産オンライン: 湯之島館本館 — 登録有形文化財としての構造・登録年月日
・湯之島館 公式サイト「湯之島館の歴史」 — 創業経緯・設計者・建築様式
・下呂温泉観光協会 — 下呂温泉エリアの観光情報
・Wikipedia: 下呂温泉 — 温泉地の歴史・地理の背景
編集部から
宿を「設備の合計」として比べる見方に、この一軒は収まらない。1931年の木造三階建てが、いまも客を泊めながら立っている——その一点が、比較表のどの欄にも書けない価値をつくっている。編集部が下呂で湯之島館を選んだのは、湯が良いからでも眺めが良いからでもなく、近代日本が「保養地」という概念をどう建築に翻訳したのか、その答案が現物で残っているからだ。梅雨の雨に濡れた広縁に座って、連続窓の向こうが白く煙るのを眺めていると、設計者が斜面に建物を折り曲げた理由が体でわかる。文化財を見に行くのではなく、文化財に泊まりに行く。この違いを味わえる宿が、日本にあと何軒残っているだろうか。