岐阜・長良川温泉の十八楼は、1860年(万延元年)創業、松尾芭蕉が記した紀行文「十八楼ノ記」から屋号を得た長良川右岸の老舗旅館である。長良川の鵜飼は毎年10月15日で漁を終える。篝火が消えたあとの川面は急に静かになり、主役は金華山の紅葉と、格子戸の続く川原町の町並みへと入れ替わる。その端境にあたる晩秋の一週間ほどが、一年でいちばん落ち着いて長良川を眺められる時間だと編集部は考えている。96室という決して小さくない規模でありながら、玄関を出れば町家の路地が地続きに始まる——この立地の特殊性を、一軒だけ掘り下げる。
| 宿 | 長良川温泉 十八楼(岐阜県岐阜市湊町10) |
|---|---|
| 創業 | 1860年(万延元年)/屋号の由来は1688年の芭蕉「十八楼ノ記」 |
| 客室 | 96室(露天風呂付特別室2・露天風呂付客室9・川側10畳客室70・その他15) |
| 温泉 | 長良川温泉/単純鉄冷鉱泉(中性低張性冷鉱泉)。大浴場「川の瀬」「川の音」は朝夕入替、「蔵の湯」併設 |
| 目安価格 | ¥46,000–¥73,000 /泊(2名1室・2026年10〜11月・税込、中央値 約¥53,000) |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

芭蕉が名付けた楼、という出自
1688年(貞享5年)、岐阜に滞在した松尾芭蕉は、長良川を臨む水楼に招かれた。その眺めを中国の瀟湘八景と西湖十景に重ね、「若し此楼に名をいはんとならば、十八楼ともいはまほしや」と書き残す。八と十を足して十八。「この辺り 目に見ゆるものは 皆涼し」の句で結ばれるこの短い文が、「十八楼ノ記」である。
宿の名は、そこから来ている。江戸時代、この場所には「山本屋」という宿があった。芭蕉が名付けた水楼の遺跡が風化し、名句も忘れられかけていることを嘆いた当主が、1860年(万延元年)、自らの屋号を「十八楼」へと改めた。土地の記憶を宿の名で引き受けた、という順序である。観光資源として景勝を売るのではなく、忘れられかけた文章のほうへ宿が寄っていった。この転倒が、166年後のいまも館内の空気に残っていると感じられる。ロビーの壁面には「十八楼ノ記」の全文が刻まれ、その正面に長良川が広がる。

川湊とともにあった166年
明治期、宿の周辺は「中川原湊」と呼ばれる舟運の拠点だった。木材、和紙、織物が長良川を下って集まり、舟夫と商人で賑わう。1874年(明治7年)に架けられた明七橋は、長良川で最初の橋である。狭い間口に深い奥行きという川原町の町家の形は、この川湊の商いがそのまま残したものだ。
大正期には鵜飼客で沸き、五代目当主・伊藤末吉が当時としては珍しい3階建てへ建て替え、大理石の大浴場を設けた。1944年、建物は軍に接収され、岐阜公園内に置かれた航空本部の将校宿舎となる。翌1945年7月9日の岐阜大空襲では市街の広い範囲が焼けたが、十八楼と川原町界隈は戦火を免れた。戦後、六代目当主・伊藤久子が食糧難のなかで復興にあたる。いま歩ける格子戸の通りが残っているのは、この一夜の偶然と、その後の地道な維持の積み重ねの結果である。宿の歴史と町の歴史が同じ年表に載っているという点で、十八楼は「川原町にある宿」ではなく「川原町そのものの一部」だと言える。

鵜飼小路 — 館から船着場へ、靴を履かずに
竹と行灯で構成された細い下り通路が、館内から長良川の鵜飼観覧船のりばまで続いている。名は「鵜飼小路」。宿から観覧船へ直接抜けられる専用通路を持つのは、長良川畔でこの一軒だけである。宿の建物が船着場に接して建っているという、川湊時代からの立地がそのまま設備になった格好だ。
ぎふ長良川鵜飼の開催は毎年5月11日から10月15日まで(増水時などを除く)。つまり本記事が想定する10月16日以降の滞在では、この通路は「使われない通路」として残る。それでも歩いてみる価値はあると考えている。行灯の列が下っていく先に、篝火のない静かな川面がある——鵜飼を見に来た旅では決して見られない光景で、シーズンの終わりを実感させる場所になっている。


蔵の湯と、赤褐色の含鉄泉
長良川温泉の泉質は単純鉄冷鉱泉(中性低張性冷鉱泉)。源泉は無色透明だが、大気に触れると鉄分が酸化して赤褐色に濁る。全国的にも数の少ない泉質で、「にっぽんの温泉100選」に毎年選ばれている湯である。冷鉱泉のため加温されるが、鉄泉らしく湯上がりの温まりが長く続く。
大浴場は「川の瀬」と「川の音」の二つで、朝と夕で男女が入れ替わる。編集部が印象に残ったのは、「川の瀬」に併設された蔵の湯である。明治期に材木商が建てた蔵を浴場に転用したもので、130年前の梁を見上げながら赤褐色の湯に浸かる。三角の妻壁に嵌められたステンドグラスから落ちる光と、湯の色が呼応する。展望内風呂には岐阜薬科大学の指導で10種をブレンドした薬草風呂とシルキーバス、寝湯があり、壁面には美濃和紙が張られている。地の素材で構成することを徹底した浴場だと言える。露天風呂には鵜飼の意匠が随所に置かれ、夜は水中灯が水面を照らす。

96室のうち、川側をどう選ぶか
客室は全96室。内訳は露天風呂付特別室が2室、露天風呂付客室が9室、川側10畳客室が70室、8畳や大部屋などその他が15室である。数だけ見れば中規模の団体対応旅館の構成だが、実質的な主力である「川側10畳+広縁」が70室を占めるという偏り方に、この宿の性格が出ている。要は、川を見るための部屋が標準仕様になっている。
晩秋なら、広縁の椅子に座って対岸の金華山を眺める時間が滞在の中心になる。和室に布団という伝統形のほか、和モダンベッドルーム(ツイン/トリプル)も同じ川側に用意されており、畳に寝起きするのが負担な世代でも川側を諦めずに済む。記念日や少人数の贅沢を目的にするなら、露天風呂付特別室「湊」(12畳+7畳+8畳)と「清涼の間」(12畳+6畳+広縁)の2室が最上位にあたる。合計11室しかない露天風呂付は、紅葉期には早く埋まる。

食事 — 一汁三菜に七品を重ねる
会席は吸い物・刺身・焼き物・煮物という一汁三菜を基本に、七品以上を組む構成が基準とされている。月替わりで、素材は毎朝の地元市場から。料理長の西岡功は日本料理専門調理師に加えて国際薬膳食育師の資格を持ち、館の献立には薬膳の系統も並ぶ。飛騨牛銘柄推進協議会の「飛騨牛料理指定店」であり、黒毛和種の飛騨牛を主菜に据えたコースも選べる。長良川の伏流水を仕込みに使う点を、宿は一貫して前面に出している。夕食は半個室のレストランを選べるプランもあり、大広間での一斉配膳を避けたい旅程には合う。

集約レビューが映すこの宿の本質
公開レビューデータを集計すると、この宿の評価は明確に二層に分かれる。厚く支持されているのは、立地・温泉・接遇の三点である。とりわけ「町へ出られる旅館」という構造への評価が高く、宿に着いてから外出しない一般的な温泉旅館の滞在様式とは違う満足のされ方をしている。蔵の湯の意匠と鉄泉の温まり方も、繰り返し言及される要素として浮かび上がる。
一方で、96室という規模に由来する指摘も一定量ある。館内が広く動線が長いこと、団体利用と個人利用が同居する時間帯があること、館内設備に年代差があること。改装区画と未改装区画で体験の質が変わりうる点は、予約前に部屋タイプを確認しておくだけで回避できる種類の摩擦だと言える。総じて、「静寂を買う小さな宿」を求める人より、「歴史ある町の中心に構えた大箱を使い倒したい人」に評価が寄っている宿である。
晩秋の川原町を歩く、1泊2日の組み立て
10月16日以降、鵜飼はない。そのぶん、時間の使い方が町側へ移る。十八楼は宿泊者向けの無料散策ツアーを毎日2本用意しており、これが実質的に滞在の骨格になる。夕方は川原町散策ミニツアー(16:55にロビー集合、17:00出発、約30分、定員20名)。歴史案内人とともに、湊町・玉井町・元浜町と続く格子戸の通りを歩く。岐阜うちわの工房や、鮎菓子で知られる和菓子店が現役で商いを続けている一帯である。翌朝は戦国ミニツアー(9:55集合、10:00出発、約50分)で岐阜公園と信長公居館跡へ。いずれも予約不要・無料で、当日ロビーに集まればよい。
ここで一点、2026年秋の重要な注意がある。岐阜城天守閣は2026年5月19日から改修工事のため長期休館中で、再開は2027年11月の予定。資料館も2026年4月1日から休館している。金華山登山道は2027年9月末まで山頂部の一部が通行止めで、「めい想の小径」と「鼻高ハイキングコース」は山頂手前で行き止まりになる。ただし、ぎふ金華山ロープウェーと山頂の展望台、リス村、展望レストランは通常営業しており、270度の眺望と岐阜市街の夜景は変わらず見られる。天守に登るつもりで旅程を組んでいる場合は、事前の組み替えが要る。
宿を発つ日は、9時30分発のJR岐阜駅・名鉄岐阜駅行き無料送迎バスが使える(1日1本、9時25分までにフロント集合、予約不要)。戦国ミニツアーに出るなら送迎バスとは両立しないため、どちらを取るかを前夜に決めておきたい。

向く人 / 向かない人
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向く:
宿と町歩きを半々で組みたい大人ふたり旅、鵜飼シーズンを外して静かな川を見たい人、名古屋から鉄道20分で温泉に着きたい週末の旅程、和の様式と川湊の歴史を一度に体験したい海外からの旅行者、一人旅(1名予約可の専用プランが常設) -
向かない:
十数室規模の静けさを最優先する人(96室の大箱で団体利用と同居する時間帯がある)、サウナ目当ての滞在(館内にサウナはない)、ペット同伴の旅(盲導犬・介護犬を除き入館不可)、岐阜城天守閣の見学を主目的にした旅程(2027年10月下旬まで休館)、全館禁煙が難しい人
具体情報
- 所在地: 岐阜県岐阜市湊町10(長良川右岸・川原町)
- 最寄り: 岐阜バス「長良橋南・川原町」停から徒歩約2分。JR岐阜駅北口12・13番のりば/名鉄岐阜駅4番のりばから乗車
- 広域アクセス: 名古屋駅→JR東海道本線快速で岐阜駅まで約20分/名古屋から車で約1時間。東海環状自動車道 岐阜ICから約15分
- 客室: 96室(8畳+広縁〜12畳+7畳+8畳)。川側10畳客室が70室と主力。全館禁煙
- チェックイン: 15:00〜 / チェックアウト 〜10:00(レイトチェックアウトは1室3,300円で対応、要事前確認)
- 温泉: 単純鉄冷鉱泉(中性低張性冷鉱泉)。大浴場「川の瀬」「川の音」朝夕入替+「蔵の湯」。サウナなし
- 食事: 夕食は会席(一汁三菜+七品以上が基本/飛騨牛・薬膳のコースあり)。半個室レストラン利用のプランあり
- 駐車場: 館の斜め向かいに屋外駐車場、無料・予約不要(公式サイトのアクセス案内では約150台分)
- 送迎: 毎朝9:30発、名鉄岐阜駅・JR岐阜駅行き無料バス(1日1本、9:25までにフロント集合、予約不要)
- 無料アクティビティ: 川原町散策ミニツアー(毎日17:00発・約30分・定員20名)/戦国ミニツアー(毎日10:00発・約50分)
- 子ども: 中学生以上は大人料金、小学生70%、幼児50%。0歳から施設使用料2,200円(税込)
- 設備: 全館Wi-Fi、車イス無料貸出、エレベーター、共用部スロープ、客室入口に手すり(完全バリアフリーではない)
- 創業: 1860年(万延元年)。屋号の由来は1688年の松尾芭蕉「十八楼ノ記」
- 言語: 公式サイトは英語・中国語(簡体/繁体)に対応
編集部の評価
評価の内訳は、立地(長良川右岸かつ川原町の内側という代替不能な位置)/設備(三つの浴場と川側70室という構成)/体験(鵜飼小路・無料散策ツアー・166年の由緒)/価格感(2名1室¥46,000〜¥73,000で老舗の会席と温泉が収まる水準)/編集適合度(晩秋の「鵜飼終い」という端境に主題が合致)の5軸。公開レビューデータを集計した評価の厚みと母数の大きさが基礎点を押し上げ、テーマ適合の加点で92に着地した。減点要因として残るのは、96室規模ゆえの動線の長さと、館内設備の年代差である。
よくある質問
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 本記事が推す時期は、鵜飼が終わる10月16日から11月末までです。長良川の観覧船が動かなくなるぶん川面が静まり、金華山の紅葉が11月中旬から下旬にかけて色づきます。鵜飼そのものを目的にするなら5月11日〜10月15日ですが、川と町並みを静かに眺める滞在としては晩秋のほうが密度が高いと考えています。
Q. 予約のタイミングは?
A. 公式サイトからの予約は6か月前、電話は1年前を目安に受け付けています。11月の紅葉期の週末と、露天風呂付客室(全11室)は早く埋まる傾向があります。直接予約のキャンセル料は宿泊日5日前から30%、前日50%、当日100%です。
Q. 子連れでも泊まれますか?
A. 泊まることができます。中学生以上は大人料金、小学生は大人料金の70%、幼児は50%で、食事も寝具も不要な0歳児からも施設使用料2,200円(税込)がかかります。館内には赤ちゃん連れ・キッズ向けの滞在プランが用意されており、大部屋(12.5畳+次の間3畳、定員6〜7名)は三世代でも使えます。完全バリアフリーではないため、ベビーカー利用時は事前相談が確実です。
Q. アクセスは?
A. 名古屋駅からJR東海道本線の快速で岐阜駅まで約20分、駅北口のバスターミナル12・13番のりばから岐阜バスに乗り「長良橋南・川原町」下車、徒歩約2分です。車なら名古屋から約1時間、東海環状自動車道 岐阜ICから約15分。館の斜め向かいに無料の屋外駐車場があり、予約は要りません。
Q. 2026年秋、岐阜城には登れますか?
A. 天守閣には入れません。岐阜城天守閣は2026年5月19日から改修工事のため休館しており、再開予定は2027年11月です。資料館も2026年4月1日から休館しています。金華山登山道も2027年9月末まで山頂部の一部が通行止めです。ぎふ金華山ロープウェーと山頂展望台、リス村、展望レストランは通常営業しているため、眺望と夜景は問題なく楽しめます。
Q. インバウンド客の利用は?
A. 公式サイトが英語・中国語(簡体/繁体)に対応しており、鵜飼と町家の町並みが徒歩圏に揃うことから、訪日客の滞在拠点としても機能しています。公開レビューデータを集計すると、海外からの利用者は日本語話者より温泉と歴史的建築への評価が高く出る傾向が見られます。館内は全面禁煙、支払いは主要クレジットカードのほか各種QRコード決済・電子マネーに対応しています。
本記事の参考情報
・長良川温泉 十八楼 公式サイト — 沿革・客室構成・温泉・料理・アクセス・よくある質問
・ぎふ長良川鵜飼(岐阜市鵜飼観覧船事務所) — 開催期間 5月11日〜10月15日
・岐阜市公式ホームページ「岐阜城改修工事」 — 天守閣・資料館の休館期間と登山道の通行制限
・ぎふ金華山ロープウェー — 運行時間・山頂施設の営業状況
・岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」 — 周辺観光
・Wikipedia: 川原町(岐阜市) / 長良川温泉 / 長良川鵜飼 — 地理・歴史の背景
編集部から
十八楼を一軒だけで取り上げたのは、この宿が「泊まる場所」と「歩く町」の境界を持っていないからである。玄関を出て数十歩で格子戸の通りが始まり、館内の通路を下れば船着場に出る。宿が町の一部として建っている、という状態は、意図してつくれるものではない。川湊の商いと鵜飼の客と戦火を免れた偶然が、166年かけて残した形である。鵜飼が終わり、篝火が翌年5月まで消えたあとの長良川を見に行く旅は、その形を最もよく見せてくれると考えている。次は、同じ長良川沿いで鵜飼期に泊まる選択肢と、この宿の晩秋とを比べてみたい。あなたなら、火のある川と火のない川、どちらを先に見に行くだろうか。



