2026年5月、和倉温泉の中堅老舗・多田屋がついに公費解体に入った。能登半島地震から2年半、休館を続けてきた一軒が、明治18年から続く屋号を残したまま、規模を半分に絞って2028年春の再開を目指す。本記事は、再開を待つこの宿の「いま」を、復興の物語として一軒の宿の視点から記す。創業1885年、客室約60室、能登島大橋を見下ろす七尾湾岸の高台に建つ、六代続く家族経営の宿。震災15年を経た三陸の宿が観光資源としてどう再生したかを編集部は別記事で追ってきたが、能登の復興は今まさに動いている最中である。
※ 本記事の宿は2026年6月時点で休館・解体工事中であり、宿泊予約は受け付けていません。再開予定および工事進捗は公式情報をご確認ください。HotelPicks Scoreは復興前の運営期間を含む長期的な公開レビューデータを集計したものです。

HotelPicks Score: 93 / 100 約60室(現状)→約30室規模に再編予定、能登半島・七尾湾岸の和風旅館。
明治18年からの六代
多田屋の創業は1885年(明治18年)。和倉温泉が今のような大型温泉地に発展する以前、七尾湾岸の小さな漁村で湯治宿として始まった。六代目の多田健太郎が現在の経営を担い、若女将は弥生氏。家族で六代続く老舗である。屋号の歴史を語るうえで欠かせないのは、明治期に鍋島藩最後の藩主・鍋島直虎の長女が女将を務めたという縁で、佐賀と能登という遠く離れた土地が縁づけられた背景がある。
戦後、和倉温泉が能登観光の入り口として成長するなか、多田屋は温泉街中心部から少し離れた高台に拠点を構え、ロケーションでの差別化を選び続けた。隣接する加賀屋・あえの風が大規模化に向かう一方で、多田屋は「能登の里山里海を窓辺に置く宿」として中規模を維持し、夕日と釣り桟橋という二つの体験で識別される一軒として残った。

七尾湾岸の高台と能登島の眺望
多田屋の立地を地図で見ると、その特異性が際立つ。和倉温泉駅から車で約10分、温泉街中心の喧騒から離れた七尾湾岸の高台に建ち、客室の窓は南北どちらを向いても水面と能登島が視界の半分以上を占める。能登島大橋を見下ろす角度は、湾を挟んで対岸の山並みまで一望できる稀有なポジションである。
建物は複数棟で構成され、最上階に近づくほど能登島の輪郭が水平に伸びて見える。客室には窓辺いっぱいの和風ベイウィンドウを設けた部屋もあり、畳に座って湾を眺める空間設計が長年支持されてきた。震災以前、客室約60室のうち多くが湾向きに配されていた。

2024年元日の震災と、120名の宿泊客
2024年1月1日、最大震度7を記録した能登半島地震は和倉温泉の宿泊施設に深刻な被害を与えた。多田屋では当日120名余りの宿泊客がいたが、避難誘導の結果、全員が無事だった。一方で建物の被害は深刻で、宿泊棟は1972年築の旧耐震基準であったため、館内の段差、壁の剥がれ、外壁のひび割れが各所で確認された。和倉温泉全体では震災前21軒あった加盟旅館のうち12軒が休業に追い込まれ、2026年4月時点で営業再開は9軒、残りは復旧工事中または再建中である。
多田屋は震災直後に応急処置で営業を続ける選択肢を取らず、構造調査と長期的な耐震計画に時間を充てる方針を選んだ。資材価格が熊本地震時の約2倍に高騰しているなか、当初検討した新棟建設は断念し、既存棟の改修のみで再開する案に集約。2026年5月中旬からの公費解体で、宿泊棟を順次解体し、再開時には現在の半分程度の客室数で「規模より深さ」を選ぶ宿に生まれ変わる方針を掲げている。
「規模の半分」が意味するもの
多田健太郎社長は地元紙の取材で「宿泊棟を解体し、規模は現在の半分くらいになる」と語っている。約60室から30室規模への縮小は単なる事業縮退ではなく、和倉温泉全体の創造的復興プランと連動した方針転換である。多田は和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会の代表に就任し、温泉街全体を「景観・生業・共有・連携・生活・安全」の6本柱で2040年に向けて再構築する計画を主導している。多田屋自身の縮小は、その理念を経営行動で示す側面が大きい。
再開後の運営は、食事処を渡り廊下式に作り替えるなど、空間の質を上げる方向に向かう。震災前の朝夕食バイキング部屋食ハイブリッドから、より個室化された会席へのシフトを示唆する設計変更である。客室数を半減させても、平均単価を上げ、滞在の静けさを売る方向。これは加賀屋・あえの風という大規模旅館との明確な差別化軸であり、和倉温泉という温泉地内での生態系再配置でもある。

集約レビューが映してきた多田屋の本質
震災前までの公開レビューデータを集計すると、多田屋に対する評価で最も多く言及されてきた要素は3つに集約される。第一に「夕日と桟橋の景観」、第二に「中規模ながらの落ち着き」、第三に「能登の地物を中心とした朝食と夕食」。それぞれが立地・規模・食という宿の三本柱と一致しており、震災前の運営方針が読者にも一貫したイメージとして届いていたことが分かる。一方で建物の経年を指摘する声も散見され、これが今回の改修判断の背景にも重なる。
サステナビリティ視点では、多田屋は近年、地域の廃材を使った内装更新や、地元漁師との直接取引による食材調達など、能登の里山里海を循環の中に置く取り組みを始めていた。震災後の再開計画でも、新棟ではなく既存棟改修を選んだ判断には、震災廃材の発生量を抑え、復興期の資源循環に配慮する側面がある。

能登の海と里山の食
多田屋の食は能登半島の地物を中心に組み立てられてきた。七尾湾で水揚げされる鯛や鰤、能登牛、能登の塩を使った煮物、季節の山菜や干し柿といった里山の素材を、京風の盛り付けで提供する形が長年の型であった。震災で休業中の現在も、若女将はnoteで季節ごとの能登の食材を発信し続けており、再開時にこの食の系譜が継承されることは強く示唆されている。
再開後は食事処の改修に伴い、より個室色を強めた会席形式に寄ると見られる。能登の食を「観光体験」ではなく「土地の循環の延長」として位置づけ直す方向性が、若女将のSNS発信や多田社長のまちづくり活動から読み取れる。

どんな旅人に、いつ訪ねるべきか
2026年夏時点では、多田屋への宿泊は不可能である。営業再開目標は2028年4月。本記事を「いま予約できる宿の紹介」として読む向きには応えられない一軒だが、能登半島の復興を一軒の宿の視点から長期的に追いたい読者、震災後の地方温泉地がどう生態系を再編していくかに関心がある読者、そして将来再訪したい和倉温泉ファンには、いま記録しておく価値のある宿である。
2028年春に再開した時、訪ねる旅人に向く旅程としては、和倉温泉駅から専用送迎または車で能登島大橋を経由するルートが想定される。能登島は震災復旧が進む地区とそうでない地区が併存しており、復興の現実と海の眺望の両方を体感できる動線になる。再開後は客室半減によって平日予約も早期に埋まることが想定されるため、宿泊検討者には早期の情報追跡を推す。
HotelPicks Score 93 / 100 の内訳
本記事のスコアは、復興前の長期運営期間における公開レビューデータの集計、立地評価、ブランド継続性、編集適合度を組み合わせて算定したものである。立地(七尾湾岸の高台・能登島眺望)と運営の長期実績で高い加点、震災後の休館により現時点の宿泊体験は提供されないため一部の加点を抑制した。再開後に再度評価予定。
編集部から
復興期の宿の物語を書くことは、観光記事の通常の枠組みからはみ出す。それでもこの一軒を取り上げた理由は、多田屋が和倉温泉という温泉地全体の復興方針を象徴する存在だからである。「規模の半分」を引き受ける決断は、震災が突きつけた問いに対する一つの答えであり、地方の中規模温泉旅館がこれから歩む道筋の一つの型を示している。震災15年を経た三陸の宿が観光資源としてどう再生したかと並べて、能登の復興は今まさに動いている最中。次は和倉温泉の温泉街全体の再編、あるいは加賀屋本館の建て替えと隈研吾設計の新館を視座に置いた一軒も、編集部は追っていく。
本記事の参考情報
・多田屋 公式サイト — 休館・再開情報の一次情報源
・colocal「多田健太郎さんが描く未来」 — 六代目社長と和倉温泉復興まちづくりのインタビュー
・travelvoice「和倉温泉が復興への基本計画を発表」 — 2040年に向けた創造的復興プランの全体像
・Wikipedia: 和倉温泉 — 温泉地の歴史と地理