和倉温泉で最も美しい夕景を持つ一軒として知られた多田屋は、いま、建物を解体し、半分ほどの規模で生まれ変わろうとしている。能登島大橋を見下ろす七尾湾岸の高台に1973年から建つこの料理旅館は、2024年元日の能登半島地震で被災し、休館したまま2026年を迎えた。本稿は「今すぐ泊まれる宿」の紹介ではない。1885年の創業から三度の移転・改修を重ね、能登の里海とともに歩んできた一軒が、震災を経てどんな宿へ再生しようとしているのか——その物語を、編集部の視点で記録する。和倉温泉という土地そのものの復興と、重ねて読んでほしい。

※ 本記事は、公開レビューデータを集計した評価と、立地・規模・歴史に関する公開情報に基づく編集記事です。多田屋は2026年6月現在、能登半島地震からの復旧のため休館中で、宿泊予約は受け付けていません。再開時期・施設内容は今後変更される可能性があります。


多田屋 — 七尾市奥原町 · 七尾湾に突き出した桟橋と夕日に染まる能登島の眺望
PHOTO: 多田屋 — 公式サイトを見る →

約60室(再建後は縮小予定)、料理旅館。石川県七尾市・和倉温泉。

1885年から続く、夕日に染まる宿

多田屋の創業は1885年(明治18年)。初代・喜三郎が和倉温泉の中心部で営みを始めた料理旅館に端を発する。三代目・喜教の代には、佐賀・鍋島藩の鍋島直虎の長女である好子を女将に迎えたという縁が伝わり、宿の格式と物語性をかたちづくってきた。現在の地——能登島大橋を見下ろす七尾湾岸の高台——へ移ったのは1973年(昭和48年)のこと。「夕景が最も美しく見える場所へ」という明確な意思のもとに選ばれた立地である。西へ開けた湾に沈む夕日と、対岸の能登島の稜線。この一点に宿の価値を賭けた移転判断こそ、多田屋という一軒の核を言い表している。

その後はバブル期の団体旅行需要に応えて増築を重ね、花の館・汐の館をはじめとする複数棟、約60室の規模へと育った。一般客室から特別室、露天風呂付き客室、貴賓室までを擁する料理旅館として、和倉温泉のなかでも「眺望と食」で記憶される存在になった。海に向かって突き出した自家桟橋から釣り糸を垂れられる宿、というのも他にない個性である。

歴史と建築 — 増えすぎた規模を、解く


多田屋 — 緑釉瓦の屋根と七尾湾を望むテラスを備えた本館エントランス
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1972年に建てられた宿泊棟は旧耐震基準のもとにあり、能登半島地震では館内に段差・ひび割れ・壁の剥落が生じた。和倉温泉一帯では護岸が崩壊するなど被害は甚大で、温泉街21軒のうち多くが休業に追い込まれた。震災後、多田屋は建物の使用可能部分と解体対象を見極める長い調査を経て、2026年5月中旬から旧宿泊棟の解体を本格化させている。

注目したいのは、その再建が「元通りに戻す」復旧ではないことである。社長・多田健太郎氏は、バブル期に「大きくなりすぎた」規模をあえて約半分に解き、団体旅行向けの設計から個人客中心の宿へと作り替える方針を掲げる。新たな建物の完成見込みは2027〜28年。掲げる言葉は「高級な宿ではなく、特別な宿になる」。広さや豪華さの競争から降り、能登の里海に向き合う密度の高い時間を提供する一軒へ——という意思である。七尾湾に突き出した桟橋など、宿のアイデンティティをかたちづくってきた設備は引き継がれる見込みだ。

滞在の体験 — 海に沈む夕日と、能登の食


多田屋 — 七尾湾と能登島の夕景を一望する露天風呂
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休館前の多田屋を語るうえで外せないのが、露天風呂から望む夕景である。湯に身を沈めると、視界の正面に七尾湾が広がり、対岸の能登島へと夕日が落ちていく。和倉温泉らしい塩分を含んだ湯と、刻々と色を変える空。湯と眺望が一体になったこの体験は、多くの宿泊者の記憶に深く残ってきた。


多田屋 — 能登の旬の食材を用いた季節の会席料理の一皿
PHOTO: 多田屋 — 公式サイトを見る →

食もまた、この宿の評価の中心にあった。七尾湾の魚介をはじめとする能登の旬を、季節の会席に仕立てる料理旅館としての矜持。器づかいや盛り付けの繊細さも含め、「料理旅館」を名乗るにふさわしい一軒として支持を集めてきた。海に向かって突き出した桟橋から釣りを楽しめる遊び心も、滞在の記憶を立体的にしていた。再建後の宿でこれらがどう更新されるのか——眺望と食という二つの核を、より小さく濃い体験へ翻訳できるかどうかが、新しい多田屋の鍵になる。

集約レビューが映すこの宿の本質

公開レビューデータを集計すると、多田屋への評価は明確な輪郭を持つ。突出して支持されてきたのは、やはり露天風呂と客室から望む夕景、そして七尾湾の食材を生かした料理である。「眺望」と「食」という二点に評価が集中する構造は、宿が長年掲げてきた「夕日に染まる料理旅館」という自己定義と正確に重なっている。立地の特別さが、そのまま宿の評価軸になっているのが多田屋の特徴と言える。

一方で、増築を重ねた大規模旅館ゆえの館内の動線や、設備の年代を指摘する声も一定数あったことが集約傾向から読み取れる。今回の再建で社長が「規模を半分に」「個人客中心へ」と語る背景には、こうした構造的な課題への自覚もあるのだろう。眺望と食という強みを残しつつ、規模に由来する弱みを解いていく——再建の方針は、集約レビューが示してきた宿の輪郭と、きれいに符合している。

立地と周辺 — 能登島と七尾湾を望む高台

多田屋が建つのは石川県七尾市奥原町。能登島大橋を見下ろす七尾湾岸の高台で、温泉街の喧騒からはやや離れた静かな一角にある。西へ開けた湾は夕景の舞台であると同時に、対岸の能登島・のとじま水族館や、和倉温泉の総湯・湯っ足りパークといった界隈の拠点へのアクセスも結ぶ。鉄道ではJR七尾線・のと鉄道の和倉温泉駅が玄関口で、駅から温泉街までは車で数分の距離にある。震災以降、護岸の復旧工事が進み、2027年3月末の完了を目標に和倉温泉エリア全体の再生計画が動いている。多田屋の再建は、その地域復興の歩みと不可分のものとして進む。

こんな旅人に

  • 能登の復興の現在地を、一軒の宿の物語として知っておきたい人
  • 再建後の多田屋の再開(2027〜28年予定)を心待ちにし、いまその背景を理解しておきたい人
  • 夕景と地元食材の会席を旅の主役に据える、和の料理旅館を好む旅人
  • 震災と再生というテーマに関心があり、土地と宿のつながりを読み解きたい人

逆に、この夏すぐに和倉温泉で泊まれる宿を探している場合、多田屋は現在休館中である点に留意したい。和倉温泉では建て替えや再開の動きが各館で進んでおり、エリア全体の最新の営業状況は和倉温泉観光協会の情報を確認するのが確実である。

編集部の評価

評価の内訳: 立地(七尾湾を望む高台の夕景)/ 体験(露天風呂・桟橋・能登の食)/ 歴史(1885年創業の物語性)/ 編集適合度(能登再生を象徴する一軒)。スコアは公開レビューデータの集計を基盤に、立地・歴史・テーマ適合の編集判断を加えて算出している。休館中のため目安価格は表示していない。

よくある質問

Q. いま多田屋に泊まれますか?

A. 2026年6月現在、多田屋は能登半島地震からの復旧のため休館しており、宿泊予約は受け付けていません。旧宿泊棟の解体が2026年5月中旬から本格化しており、新たな建物の完成見込みは2027〜28年とされています。最新情報は公式サイトおよび公式SNSで発信されています。

Q. 再建後の多田屋はどんな宿になりますか?

A. 社長の多田健太郎氏は「高級な宿ではなく、特別な宿になる」と語り、バブル期に増築で大きくなった規模を約半分に絞り、団体向けから個人客中心の宿へ転換する方針を掲げています。七尾湾に突き出した桟橋など、宿の象徴的な設備は引き継がれる見込みです。

Q. 和倉温泉は地震からどの程度復興していますか?

A. 和倉温泉では護岸の崩壊など甚大な被害があり、温泉街の多くの旅館が休業しました。2027年3月末の護岸復旧完了を目標に、地域全体の再生計画が進行中で、旅館ごとに解体・建て替え・再開の動きが段階的に進んでいます。エリアの最新状況は和倉温泉観光協会の情報が確実です。

Q. 多田屋の歴史的な特徴は?

A. 1885年(明治18年)創業の料理旅館で、三代目の代に佐賀・鍋島藩の鍋島直虎の長女を女将に迎えた縁が伝わります。1973年に「夕景が最も美しく見える場所」として現在の七尾湾岸の高台へ移転したことが、宿の個性を決定づけました。

Q. アクセスは?

A. 玄関口はJR七尾線・のと鉄道の和倉温泉駅で、温泉街までは車で数分です。金沢方面からは特急で和倉温泉駅へ向かうのが一般的なルートです。再開後の送迎などの詳細は、再開時に公式サイトで案内される見込みです。

本記事の参考情報

・和倉温泉観光協会 — 和倉温泉エリアの観光・営業状況
・七尾市 — 行政・震災復興の情報
・Wikipedia: 多田屋(旅館) — 創業・移転・建物構成の背景

編集部から

多田屋は、いったん建物を解いてから、自らの核だけを残して立ち上がろうとしている。眺望と食、そして桟橋という遊び心。大きさを誇る宿の時代を終え、能登の里海と密に向き合う「特別な宿」へ——その再生のかたちは、震災を経た日本の温泉地が次に進むべき方向を、静かに指し示しているようにも見える。HotelPicksでは三陸の震災15年シリーズと並べて、土地と宿の物語を記録していく。あなたが次に「再生」を見届けたい一軒は、どこにあるだろうか。

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