2027年の冬、中規模の温泉旅館が一泊の主役に据え直しているのは、囲炉裏や炉端で火を囲む夕食である。部屋食・個室食の静けさを最上位に置く流れは、この十年ほど宿選びの基準そのものだった。だがその頂点が見えたところで、逆の方向へ静かに舵を切る宿がある。他の客と同じ空間にいながら、火という一点に視線と手元を集めることで、距離を保ったまま場を共有する——本稿は、囲炉裏・炉端ダイニングを運営の核に置く中規模旅館3軒を手がかりに、その設計思想を考える。

# 宿 エリア 客室 目安価格 1行特徴
1 元湯 孫九郎 岐阜・奥飛騨福地温泉 21 ¥56–¥64k 築160年の養蚕農家をそのまま食事処に。しきりのない炉端テーブル
2 上屋敷 平の高房 栃木・湯西川温泉 19 ¥40–¥65k 部屋食を行わず、大広間もテーブル式いろりへ改めた囲炉裏専業
3 とわだこ賑山亭 秋田・十和田湖畔 27 ¥29–¥42k 炭火の炉端処「賑山」。海の幸を自分で焼く北東北の一軒

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

静けさを突き詰めた先に、宿が気づいたこと

部屋食は、この十年でほぼ完全に商品化された。半個室、個室会場、時間差入場、料理の一皿ずつの運び——他の客と顔を合わせずに夕食を終えられることが、そのまま宿の格として語られるようになった。設備投資としても筋が通っている。会場の回転を捨てる代わりに単価を上げる、という交換が成立するからだ。

ところが、静けさを突き詰めた宿ほど、滞在の記憶が薄くなるという逆説が起きる。誰にも邪魔されない一夜は快適だが、快適さは思い出しにくい。旅館の一泊が高額な体験になればなるほど、「何を覚えて帰るか」という問いが商品設計の中心に戻ってくる。

そこで再評価されているのが、囲炉裏である。火のそばに座り、串を刺し、焼き上がりを待つ。この一連の所作は、料理を「供されるもの」から「参加するもの」に変える。宿の側から見れば、部屋食の対極にあるようでいて、実は同じ問題——一夜をどう記憶させるか——に対する、もうひとつの解答だと言える。

大広間ではない。囲炉裏は「距離を設計する装置」である

ここで注意したいのは、これが昭和の団体客向け大広間への回帰ではないことだ。大広間の本質は「収容効率」にあり、隣の卓との距離は結果として決まる。囲炉裏の食事処は逆で、火をどこに置くかによって、卓と卓の距離、客と客の視線の交わり方が先に決まる。

湯西川温泉の上屋敷 平の高房は、2024年12月に大広間をテーブル式のいろりへ改めた。従来の座敷席も一部残しつつ、半個室の席と広い木造空間の席を併置する構成である。同館は部屋食を行っておらず、すべての客が食事処に降りてくる。それでも「大広間に集められた」という感覚が生じにくいのは、火が席の単位を規定しているからだ。

奥飛騨・福地温泉の元湯 孫九郎の本館食事処は、さらに素朴である。築160年の養蚕農家——館主の住まいだった建物——をそのまま使い、個室もしきりもない。それでも窮屈でないのは、炉端テーブルごとに火があり、客の意識がそれぞれの手元に向かうためだと考えられる。しきりがないことと、距離がないことは、同義ではない。

火は演出ではなく、運営の制約である

囲炉裏は、写真映えのする装置として語られがちだ。だが宿を運営する側から見れば、これはかなり重い制約である。火の管理には人手がいる。席数は火床の数で頭打ちになり、回転もかけにくい。子ども連れや足腰の不安な客への配慮も、通常の会場食より細かくなる。

だからこそ、囲炉裏を主役に据える宿は、規模を自ら絞る方向に進む。元湯 孫九郎は2025年3月、客室を24室から21室へ減らし、一日の受け入れ組数も制限すると公式サイトで告知した。人手不足のなかで持続可能な経営を選んだ結果であり、火を守るために規模を手放したとも読める。同館はルームサービスも行わず、フロント業務の時間も明示している。できないことを先に宣言する運営である。

もうひとつ、火の扱いには翻訳がある。孫九郎の炉端テーブルは遠赤ガス式で、炭を熾すわけではない。十和田湖畔のとわだこ賑山亭は炭火を使うが、会場は大人約120名を収容する規模を持つ。同じ「火を囲む共食」でも、実装は宿ごとにまったく違う。ここを混同したまま予約すると、期待した体験と食い違う可能性がある。

なぜ厳冬か — 大寒から立春にかけての一夜

火の価値が最も上がるのは、外が最も寒い時期である。大寒から立春にかけての山間部は、日没が早く、宿に着いてから就寝までの時間が長い。この長い夜をどう埋めるかが、冬の旅館の勝負どころになる。

囲炉裏はこの時間帯に強い。焼き上がりを待つ間が、そのまま滞在時間の中身になるからだ。夏なら「待たされている」と感じる十数分が、雪の夜には手をかざす時間として機能する。とわだこ賑山亭が炉端焼きを看板に据え、平の高房が冬の一品に熊鍋を置くのも、この季節性と無縁ではない。

一方で、厳冬期の山間の宿には現実的な注意が伴う。奥飛騨の道路は11月中旬から3月末まで車の冬装備が必要とされ、十和田湖畔も同様に雪道の行程になる。宿によっては冬季の休館日が設定される。火のある夕食を目的に旅程を組むなら、道路と営業日の確認が最初の作業になる。

本稿で触れた宿

1. 元湯 孫九郎 — 岐阜県高山市・奥飛騨温泉郷 福地温泉

築160年の養蚕農家をそのまま食事処にした、しきりのない炉端の宿。火を守るために客室を減らした一軒である。

21室(公式告知による現行運営時点)、奥飛騨福地温泉の中規模温泉旅館。

目安価格 ¥56,000–¥64,000 / 泊 (2名1室・通常期)


元湯 孫九郎 — 岐阜・奥飛騨福地温泉 · 天領館の食事処に並ぶ炉端風テーブルと畳敷きの座席
PHOTO: 元湯 孫九郎 — 公式サイトを見る →

夕食も朝食も食事処で供され、部屋食はない。本館の食事処は、館主の住まいだった築160年の養蚕農家をそのまま使っており、個室もしきりもない。ほりごたつのように足を下ろせる席と、高さ35cmの椅子席が併存する。天領館側の食事処は2020年12月に改装され、こちらは個室にも対応する。炉端風のテーブルは遠赤ガス式で、夕食は川魚を、朝食は朴葉みそを目の前で焼きながら食べる構成である。飛騨牛5等級の温泉しゃぶしゃぶや手作りの五平餅が献立に並ぶ。編集部が推したいのは、この宿が「できないこと」を先に言う運営を選んでいる点だ。座席の指定は受けず、ルームサービスも置かない。2025年3月には客室を24室から21室へ減らし、一日の受け入れ組数も制限すると告知した。火のある食卓を維持するために規模を手放した判断として、印象に残る。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    火を囲む食卓そのものを目的にする大人2人旅、源泉かけ流しと貸切風呂を重視する湯めぐり派、奥飛騨を車で回る冬の旅程
  • 向かない:
    小さな子ども連れ(フロアによって小学生・添い寝幼児を受けない客室がある)、食事の席や時間を自分で選びたい人(座席指定は不可)、ルームサービスや深夜のフロント対応を前提にする滞在

具体情報

  • 所在地: 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地1005
  • アクセス: JR高山駅から濃飛バスで福地温泉へ。松本方面からは平湯温泉で路線バスに乗り換え
  • 食事: 夕食・朝食とも食事処。炉端風テーブル(遠赤ガス)で川魚・朴葉みそを自分で焼く。部屋食なし
  • 食事処: 本館=築160年の養蚕農家、しきりなし/天領館=2020年12月改装、個室対応可
  • 客室: 和室・洋室・和洋室の3タイプ。2025年3月より24室から21室へ減室し、受け入れ組数も制限
  • 運営: ルームサービスなし。フロント業務 7:30〜21:30(12:00〜14:00は休止)
  • 冬季: 11月中旬〜3月末は車の冬装備(スタッドレスまたはチェーン)が必要


2. 上屋敷 平の高房 — 栃木県日光市・湯西川温泉

部屋食を行わず、大広間までテーブル式のいろりに改めた。囲炉裏を運営の中心に置くと決めた宿である。

19室、湯西川温泉の中規模温泉旅館。

目安価格 ¥40,000–¥65,000 / 泊 (2名1室・通常期)


上屋敷 平の高房 — 栃木・湯西川温泉 · 囲炉裏を囲んで並ぶ膳と、灰に立てられた川魚の串
PHOTO: 上屋敷 平の高房 — 公式サイトを見る →

3軒のなかで、設計思想が最も明快なのがこの宿である。公式サイトは部屋食を行わないと明記し、すべての客が食事処「高房亭」に集まる形をとる。そのうえで2024年12月、大広間をテーブル式のいろりへ改装した。座敷席も一部残され、希望すれば事前に申し出られる。半個室の席もある。つまり「全員が食事処へ降りる」という一点だけを固定し、そこから先の距離感は席の種類で選べるようにした構成である。献立は湯西川に伝わる囲炉裏料理が軸で、川魚や一升べら、ばんだい餅を炉端で焼き上げる。冬には熊鍋が加わり、鹿肉のたたきは通年で用意される。米は日光市で特別栽培農産物の認証を受けた「日光あんしん米」を使い、野菜も地元産を軸に組む。館は斜面を活かした山砦形式で、公達亭・叢林亭・望郷亭・閑静亭の4棟に分かれる。階段は多いが段差は15〜16cmに抑えられ、手摺が付く。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    囲炉裏料理そのものを旅の目的に置く人、平家落人伝説の土地の物語まで含めて味わいたい人、半個室と広い木造空間を選びたい大人2人旅
  • 向かない:
    客室で夕食をとりたい人(部屋食は行っていない)、階段の上り下りが大きな負担になる旅程、大型スーツケースを持ち込みたい旅(木造の床を守るため控えるよう案内がある)

具体情報

  • 所在地: 栃木県日光市湯西川1483
  • 総客室数: 19室(公達亭・叢林亭・望郷亭・閑静亭の4棟構成)。全室禁煙
  • チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜10:00
  • 食事: 食事処「高房亭」の囲炉裏料理。部屋食なし。2024年12月に大広間をテーブル式いろりへ改装
  • 冬の一品: 熊鍋(鍋物は前日までの予約制)。鹿肉のたたきは通年
  • 館内: 大浴場・露天風呂、売店(7:30〜10:00 / 15:00〜19:30)、送迎バス、全客室Wi-Fi
  • 沿革: 昭和51年(1976年)4月付の館主の記に、平家一族の末裔が山砦形式の居館を新造したとある


3. とわだこ賑山亭 — 秋田県鹿角郡小坂町・十和田湖畔

炭火の炉端処「賑山」で、三方の海の幸を自分で焼く。囲炉裏の思想を規模の側から実装した北東北の一軒。

27室、十和田湖畔温泉の中規模温泉旅館。

目安価格 ¥29,000–¥42,000 / 泊 (2名1室・通常期)


とわだこ賑山亭 — 秋田・十和田湖畔 · 炭床に渡した網で焼く帆立や海老、きりたんぽの串
PHOTO: とわだこ賑山亭 — 公式サイトを見る →

3軒のなかで最も規模が大きく、そして最も「選べる」宿である。1階の炉端処「賑山」は大人およそ120名を収容し、炭火で焼く夕食が看板になっている。北三陸・日本海・陸奥湾という三方から入る魚介に、きりたんぽや十和田湖のヒメマスといった山と湖の食材が並ぶ。一方で同館は客室で和会席を食べるプランも併売しており、火を囲むか静かに過ごすかを予約時に選ぶ構造になっている。これは思想の中途半端さではなく、通年で客層の振れ幅が大きい湖畔の宿としての現実解だと感じられる。編集部が興味深く見たのは、規模を保ったまま炉端を主役に据えている点だ。前述の2軒が規模を絞ることで火を守ったのに対し、この宿は火床を並べることで規模と共食を両立させている。同じ問いに対する、別の答えである。厳冬期には湖畔の休屋で「十和田湖冬物語」が開かれ、宿の一夜がそのまま冬の行程に組み込める。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    炭火で自分で焼く夕食を求める人、価格を抑えて共食体験を試したい人、十和田湖・奥入瀬を軸に冬の北東北を回る旅程
  • 向かない:
    静かな少人数の食事処を想定している人(炉端処は大人数を収容する規模)、客室で温泉風呂に入りたい人(客室の風呂はユニット式で温泉ではない)、公共交通のみで冬に動く旅程

具体情報

  • 所在地: 秋田県鹿角郡小坂町十和田湖休平35
  • 客室: 全27室。うち和室10畳(定員5名)が23室。全室にバス(ユニット式)・洗浄機付トイレ・個別冷暖房
  • 夕食: 1階 炉端処「賑山」18:00〜21:00。炭火の炉端焼き。客室での和会席プランも別に用意
  • 朝食: 7:00〜8:30、和定食。会場は宴会場または炉端処
  • 温泉: 十和田湖畔温泉。玉石を敷き詰めた浴船
  • 駐車場: 正面駐車場ほか、無料


よくある質問

Q. 囲炉裏のある宿は、なぜ小規模な民宿ばかりなのですか?

A. 火の管理に人手がかかり、席数が火床の数で決まるため、囲炉裏は本来スケールしにくい設備である。公開レビューデータを集計しても、囲炉裏を名前に掲げる宿の大半は10室前後の民宿・ペンションに集中している。本稿が中規模旅館に絞ったのは、その制約を引き受けたうえで19〜27室の規模で成立させている運営が、設計思想として読み解きやすいためである。

Q. 囲炉裏の夕食は、他の客と同じ卓に座るのですか?

A. 3軒とも、原則として組ごとに卓が分かれる。孫九郎はテーブルごとに食事をとる方式で、本館には個室やしきりがない。平の高房は半個室の席と広い木造空間の席を併置し、座敷席も一部残す。賑山亭は炉端処に炭床を並べる形式である。相席になるかどうかは時期や人数で変わるため、気になる場合は予約時に確認しておきたい。

Q. ベストシーズンはいつですか?

A. 編集部が推すのは、大寒から立春にかけての1月下旬から2月上旬である。日没が早く宿にいる時間が長いこと、外気との温度差で火の存在感が最も増すことが理由になる。ただし山間部は雪道の行程となり、宿によっては冬季の休館日も設定される。奥飛騨は11月中旬から3月末まで車の冬装備が必要とされており、旅程は余裕をもって組みたい。

Q. 子ども連れでも泊まれますか?

A. 宿によって条件が分かれる。孫九郎は客室のフロアごとに受け入れ条件が異なり、小学生や添い寝の幼児を受けない客室がある。予約前に人数と年齢を伝える運用になっている。平の高房は斜面立地で階段が多く、幼児連れには負担が大きい。賑山亭は和室10畳が中心で簡易ベッドの相談もでき、3軒のなかでは家族連れが動きやすい。

Q. 囲炉裏の席は火を扱うので危なくありませんか?

A. 実装は宿ごとに違う。孫九郎の炉端テーブルは遠赤ガス式で、炭を熾すわけではない。平の高房と賑山亭は炭を使うが、いずれも卓に組み込まれた火床で、料理人が火加減を管理する。とはいえ幼児が手を伸ばせる高さに火があることに変わりはないため、子ども連れの場合は席の配慮を事前に相談しておくのが確実である。

Q. 海外からの旅行者にも向きますか?

A. 自分で焼くという行為は言語に依存しないため、和食に不慣れな旅行者でも入りやすい形式だと言える。囲炉裏・炉端はいずれも日本の生活史に根ざした様式で、建物そのものを含めて体験になる点も強い。一方で3軒とも山間・湖畔の立地にあり、冬季は公共交通の本数が限られる。移動手段の確保が最初の課題になる。

本記事の参考情報

・福地温泉観光協会 — 奥飛騨温泉郷 福地温泉の宿と集落の案内
・日光旅ナビ(日光市観光協会) — 湯西川温泉を含む日光エリアの観光情報
・十和田湖国立公園協会 — 十和田湖畔の宿と冬季イベントの情報
・Wikipedia: 囲炉裏 — 囲炉裏の構造と生活史の背景

編集部から

3軒に通底するのは、「一夜をどう記憶させるか」という問いへの姿勢である。孫九郎は規模を減らして火を守り、平の高房は部屋食を捨てて囲炉裏に賭け、賑山亭は火床を並べて規模と共食を両立させた。答えは違うが、いずれも夕食の形式を宿の中心に置き直した点で一致している。静けさを商品化する流れが成熟しきったあと、次に問われるのは「静かであること」ではなく「何を分かち合うか」なのかもしれない。火のある食卓は、その問いに対する最も古く、そして最も具体的な答えである。あなたが最後に、誰かと同じ火を囲んで食事をしたのはいつだろうか。

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